「失敗」や「怪我」は生きていくために必要な経験。自分の「情けなさ」を実感し、少しの「逞しさ」を身にまとう〝旅のすすめ〟【西岡正樹】
「南米パタゴニアへの旅」を回想して
パタゴニアの対極にあるカナダの極北の地に住む「ヘアーインディアン」は、「教える」「教えられる」という文化がありません。子どもたちはひたすら「大人たちの様子を観察し、やってみて、自分で修正する」を繰り返しながら、生きていくために必要な力や必要な物事の知識を身に着けていきます。子どもたちはナイフや斧の使い方さえも教えてもらえないのだから、さぞや怪我が多かったことでしょう。恐ろしいことに、指を切り落とすこともあったのではないでしょうか。それでも、ヘアーインディアンの社会では、「失敗」や「怪我」は生きていくためには必要な経験として、すべての人たちが受け入れているのです。
ここ数十年間、我々は、直接体験を避け、試行錯誤することを好まず、確実な方法を選択し、たとえ失敗しても大きなダメージが出ないような社会をつくってきました。先述した「へアーインディアンの社会」とは真反対の社会です。その結果、日本の子どもや若者たちの多くは、安全な道、失敗しない道を選択するようになったのです。国外に出る若者が減少し、留学や旅する若者たちの姿を外国で見ることが少なくなったのもそのためでしょう。
2019年の年末から2020年3月にかけて、私はパタゴニアを「カブ1号」で旅しましたが、一人として日本の若者に会うことはありませんでした。このように身体表現としての旅や遊びを失いいつつある日本の現実を、我々はどのように受け止めれば良いのでしょうか。「日本の若者たちは旅をしなくなったね」と軽く流せるような事ではないように思います。私は大きな危機感を抱いているのです。
旅は非日常の世界です。旅が非日常なのは、日常とは異なる出逢いがそこにあるからです。その非日常の世界にいる私は、私ですが日常の私ではありません。私は不思議の国を旅するアリスと同じなのです。非日常の世界で出逢う「人」や「もの」、そして「出来事」はけっして心地良いものばかりではありませんが、それをも吸収し、私は私の殻を少しずつ破っていきました。そして、私は異文化の中、味わったことのない自然環境の中で3か月間を過ごすことによって、私はストレス以上のエネルギーとエモーションを自分の中に蓄えることができたのです。
パタゴニアの旅を終え帰国した日本は、コロナ騒動の始まりの時でした。しかし、パタゴニアの旅で得たエネルギーやエモーションは、沈鬱な社会の中にあっても私自身の体を突き動かし続けてくれました。一つの旅を終えると私は自分の「情けなさ」を実感すると同時に、少しの「逞しさ」を身にまとっているのです。
それは幾つになっても変わらないようです。日本に戻ってきてからの2年間(2023年まで)、70歳を超えるまで、私は茅ケ崎市内の浜之郷小学校でクラス担任をし、同じ干支の子どもたちと60という年の差をもろともせず、共に学び合う時間を過ごすことができたのです。旅の向こうにいるのは、少し逞しくなった自分です。それはすべての旅人に当てはまることではないでしょうか。若者たちにはぜひ旅に出てほしい。そして、ちょっと逞しくなった自分に出逢ってほしいのです。
文:西岡正樹